2025.08.29

人を想い、人を知る

久しぶりの実家で

先日、お袋が入院したので、実家に一人でいる親父の様子を見に帰省した。掃除がひと段落したので、お茶でも入れようかと思いキッチンに入ったが、お茶の葉の場所がわからない。まあお袋ならここにしまうかな…、てところを探すとすぐに見つけることができた。お茶を飲みながらふと先日見たテレビ番組を思い出していた。

発展目まぐるしいAI。仕事の現場にも導入が進み、もはや「使うかどうか」ではなく、「どう使うか」の時代だという。うちの会社でも、各々が仕事の効率化を目指し使っているようだ。先日見たTV番組ではそんなAIでも乗り越えられない壁があるという話題を紹介していた。

 

「コーヒー問題」(ウォズニアック・テスト)

初めて入る他人の家で、コーヒーを淹れることが出来るか…といったものだ。一見、単純そうに見えるこの作業、実際には家の中で食器棚を探すといったような視覚認識、空間認識や物理操作など、複雑な知能の統合が必要だそう。今はまだ難しいとされているが、まあこれもそのうちAIを搭載した人型ロボットが登場しクリアされるだろうな…。でも、お袋ならここにしまっているだろう…とか、僕だからわかるお袋の癖や習慣をAIの経験値で測ることが本当にできるんだろうか…。なんて考えていると、一つの想いが浮かんできた。

 

答えは自分自身の中にある

そもそも人間はなぜ自分とそっくりのモノ、AIやロボットを創ろうとするのだろう?

色々理由はあるらしいが、その一つに「人間とは何か」を探るため、というものがあるそうだ。人間に似たものを作ろうとすることで、「人間性の本質」が浮かび上がる。

知能とは何か?感情とは何か?命とは何か?

人間の知識への探求、その究極の到着点が自分自身の中にあるというわけだ。

 

究極の話はさておき、普段の生活に置き換えると、他人とコミュニケーションをとる時、相手を知るには、まず自分なら…という考えに至った方が良さそうだ。されたらうれしいこと。されたら嫌なこと。自分に置き換えれば相手の気持ちを考えることにもなると思う。

相手を理解し、その人が何を求めているか?何を大事にしているか?を探ることがコミュニケーションの根幹と言える。

 

想い、知ること

僕もお袋がしまっていたお茶の葉を見つけることで、ほんのちょっとだけどお袋を理解したのかもしれない。ここにしまっておけば湿気にくいし親父にも分かり易いとか…。そこにしまったお袋なりの心遣いがあるのかなと…。

もうあまり時間は無いが、お袋の事をもっと思い出したり、知りたいと思ったりしている。

 

s.morita